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9/11から1年たったが…

1 :1:02/09/11 15:45 ID:6zFxD3P/
もちろん、自分の写真が特別変るわけもなく。

ただ、前よりも家族の写真が多くなったかな。
※以後、sage進行でよろしく。

2 :名無しさん脚:02/09/11 15:46 ID:uzleFD6l


3 :1:02/09/11 15:46 ID:6zFxD3P/
距離計のないカメラを称して「街が戦場のように撮れるカメラ」と言った人がいて
(それはいいのだが)、
それをまた、さもありがたい言葉のように書き散らしている人がいるが、
実際に街が戦場になってしまう今の世の中では、
世迷いごととしか思えぬようになってしまった。

4 :1:02/09/11 15:48 ID:6zFxD3P/
距離計のないカメラを称して「街が戦場のように撮れるカメラ」と言った人がいて
(それはいいのだが)、それをまた、さもありがたい言葉のように書き散らしている人がいるが、
実際に街が戦場になってしまう今の世の中では、世迷いごととしか思えぬようになってしまった。


5 :1:02/09/11 15:54 ID:6zFxD3P/
二重書き込み申し訳ない。

6 :名無しさん脚:02/09/11 15:55 ID:5Vv5oKod
>※以後、sage進行でよろしく。
と書いときながら、>>3-4を書きこむ1はなんなんだ?

7 :1:02/09/11 16:00 ID:6zFxD3P/
>6 sage忘れたんだよ。悪かったな。内容でつっこんでくれ。

べつにカメ板で話すべきことでもないだろうが、やはり、あの事件以来、
いろいろと考えることが多くなった。
自分の場合、考えることと写真を撮ることは割と密接な部分があるのだが、
そのことが自分の写真にそれとわかる形で反映しているともいえない。

ここは平均年齢も高そうだから、だれかの考えを聞いてみたい。

というわけで、スレは立てたが、先行きは五里霧中。


8 :名無しさん脚:02/09/11 16:12 ID:Yi2xRkVn
いろんな意味で日常というものに対して切実になった部分があるかも。

9 :名無しさん脚:02/09/11 16:14 ID:YUClazem
ますます仕事が減ったな

10 :名無しさん脚:02/09/11 16:18 ID:gUMhYNRF
>>1
>ただ、前よりも家族の写真が多くなったかな。

ちょっとキュンとなった。

11 :1:02/09/11 16:19 ID:6zFxD3P/
>8 自分の場合は、家族(とくに子供)の写真を撮ることが多くなったな。
なんか、切実感がそういうかたちであらわれているのかも。

>9 あてずっぽうだが、旅行関係?

12 :名無しさん脚:02/09/11 16:23 ID:Xl6CemuM
昨今のアメリカがこうもジャイアン体質をあらわにしてくると、
どうしても「がんばれアル・カイーダ」「逃げおおせろビン・ラーディン」と
思ってしまう俺だ。何かおかしいか? 突っ込んでくれ。

まー、俺が広島出身ということもあってそう考えてしまうところもあるが。
先月祖母(被爆者)が亡くなったのだが、荼毘に付した遺骨は
案の定砂のようになっていた。

13 :ミノヲタ:02/09/11 16:26 ID:dMWIRDNk
テロリズムで死ぬ確率より交通事故で死ぬ確率の方が遥かに高い。

14 :犬神源太:02/09/11 16:28 ID:to6s/k2i
得意げに、阿呆でもチョンでも知ってることをレスする>>13に天誅

15 :1:02/09/11 16:32 ID:6zFxD3P/
>12 養老孟司が以前「反米感情は潜在的だがすごく強い」と書いていた記憶がある。
保守本流の「文藝春秋」が嫌米特集をしているのを見て、思い出した。

>13 事故も多いが、自殺も多いな。
当たり前に見過ごしてきたことだが、よく考えると怖いな。

ちょっと写真よりの話に軌道修正したほうがいいかな。

16 :名無しさん脚:02/09/11 16:33 ID:Xl6CemuM
アメリカの空爆で死んだアフガニスタンの無辜の民の数は
アフガニスタン建国以来交通事故で死んだ数よりずっと多いと思うが、どうか。
イスラエルやパレスチナのあたりでは
交通事故よりはるかにテロの方が多いように思うが、どうか。

17 :1:02/09/11 16:37 ID:6zFxD3P/
マグナムの9/11の写真展(「マグナムが撮ったNY 9.11」)をやっていたが、なぜか見に行かなかったな。
何故だか自分でもわからない。
マグナムがらみの写真展はたいてい行くのに。
見に行った人いる? どうだった? どう感じた?

18 :名無しさん脚:02/09/11 16:44 ID:4ytRhg5c
>>16
RTSユーザーと見たがどうか。

19 :名無しさん脚:02/09/11 16:49 ID:5cixS65C
長倉洋海(漢字合ってたっけ)のアフガン写真について語ってくれ。

20 :9:02/09/11 16:52 ID:RN3u2x0H
>>11
雑誌関係てことでsageで。
自分はこの事件に関しては実感もなくコメント出来ない。

去年、そこそこ元気で1人でも外出していたウチのバアチャンが、
全身の筋肉が萎縮してゆく病気にかかって大変なことになっている。
去年、親戚が集まる機会があり撮った写真と見比べても驚くほど
衰弱しきっている。
小さい頃おばあちゃん子だった俺だが、そのときはじめてバアチャン撮ったんだよね。
日頃は被写体として目もくれなかったり、照れも手伝ってか、
あんま撮ることのない家族写真ってのは失ってみると染みてくるもんだな、
ってなことが分かったな・・・まだ死んだわけじゃないけどね。

駄文・長文・おまけに私事でスマソ









21 :16:02/09/11 16:52 ID:Xl6CemuM
>>18
うんにゃ、違うよ。

あの事件を契機にして、写真家はもちろん音楽家・作家・
評論家・画家などあらゆる芸術家が「価値観が再構築された」とか
「これまで見えていなかったものがハッキリした」とか
いってるけど、それは「私はバカでした」と告白しているに
等しいと思う。
事件が起こらなければ認識できないなんて、表現を生業とする者としては
致命的。・・・もちろん俺を含めてね。
自戒、自戒。

22 :名無しさん脚:02/09/11 17:33 ID:sdJ2n+/Q
>>19
写真についてじゃないけど。
長倉氏がマスード北部同盟司令官の写真集を出した頃、新宿コニカプラザで
写真展があって、そこの会場で本人を見たよ。来場者(関係者かも)と
談笑しているところだったんだけど、にこやかで物腰の柔らかいふうな人だったので
ちょっと意外に思った。勝手な思い込みで、気難しそうなイメージを持っていたから。
写真も、どちらかというと穏やかな風景や人々の様子を写したのが多かったような。
戦場にいる兵士や、そこに住む一般の人は常時殺気立っているのではなく
普段はごく平穏な表情をしているものなんだなあと思ったよ。

23 :22:02/09/11 17:35 ID:sdJ2n+/Q
ありゃ、1行目の前置きは不要だったね。

24 :名無しさん脚:02/09/11 17:41 ID:Wra12Gx/
>>16
事件直後にアメリカが報復攻撃を発表したとき、日本では単純な報復に反対の
論調もあったが、1年経ってみてどうなんだろう。

個人的には、ベトナムの繰り返しをするなと、ずーと思っているんだが

25 :1:02/09/11 17:46 ID:6zFxD3P/
写真という切り口だけでも、貿易センタービルを撮影した立場と、故マスード氏を撮影した立場、
戦場写真家として今アフガニスタンにいってる人もいるだろうね。
また、>21のように表現を生業とする立場もあるね。
このスレッドは、どのようにすれば対話が可能か、ちょっと考え中。


26 :名無しさん脚:02/09/11 21:04 ID:EB3Hn1CD
あの事件以来、一攫千金を夢見て常にカメラを持ち歩くようになった。


27 :ウザイ奴:02/09/11 21:06 ID:GFoyxjZF
本当に変わったか?と煽ってみる。


28 :名無しさん脚:02/09/11 21:09 ID:pR6ZsbpL
日本時間で21:46だったっけ?
黙祷でもするか。

29 :アンパンマン ◆k.2TvaTY :02/09/11 21:14 ID:VutfQYda
>>12
広島原爆の被害って今回のテロの被害の何倍なんだろう!

今年に入って沖縄に何度か行ったせいか何故か今回のテロ、ピンと来ない。
それより第2次世界大戦を考えると・・・・。
広島、長崎の方が・・・・。

30 :ウザイ奴:02/09/11 21:18 ID:GFoyxjZF
死者で5〜6000人(テロ):10万人×2(原爆)レベルじゃないかな。


31 :名無しさん脚:02/09/11 21:54 ID:fndiPxQK
http://www.yahoo.com/
おまえらも追悼しとけ

32 :名無しさん脚:02/09/12 07:31 ID:g/SaEQLY
おい、グランドゼロでブッシュが遺族と話したり、握手してる所にいた
DQN日本人と思われる、黄色いストラップのついた1眼レフ持った奴誰だよ?
ブッシュの真横から、デカイ広角でおもいっきり撮ろうとして、
セキュリティーに最前列から後へつまみ出されてた奴。。
連れ去られる時、あいつはどう何だゴルァと言わんばかりに他の奴指差してたぞ。。

33 :名無しさん脚:02/09/12 07:36 ID:Mi9bwcuR
糞サヨ新聞だろ

34 :名無しさん脚:02/09/12 08:53 ID:kjChElan
でも、ブッシュの周りに(グランドゼロ)は、遺族もしくは、関係者しかは入れなかった
はずだけど。。 新聞社は他にいなかったぞ。

35 :1:02/09/12 16:24 ID:+FbHJhXi
だいぶ時間が空いたが。
自分があの事件で改めて気付いたことがいくつかあるので、それを考えながら書いていきたい。
ひとつは、自分というものは、本来的に、明日をも知れぬ身の上であることを思い出した。
よく言うけれど、これから1時間後に自動車事故にあって死ぬかもしれないが、それは誰にも分からない。
誰でもそういう立場であると思うが、それは日常的には考えないことになっているし、
考えすぎるとつらい、日常生活を送れなくなってしまうかもしれない。
だから、>>8 はまさしくそのとおりだ。
自分が家族の写真を撮ることが多くなった、ということを考えると、
明日をも知れぬ身だからこそ、普段の生活がいとおしく感じるからかもしれない。
>>21 事件が起こらなければ認識できないなんて、
とは言うものの、改めて目がさめたと言えばいいのかな。
ここで21が言いたいのはそういうことではないだろうが。

その他についてはこれからまた書いていきます。

36 :1:02/09/12 17:14 ID:+FbHJhXi
ところで、昨年、事故が起こったとき、おれはビルが崩壊する前にテレビを見ていられなくなって、消してしまった。
正確にいうと、崩壊するしばらく前から、人が窓からばらばらと落ちてきている映像を見ているときに、つらくなってテレビを消した。
だから、ビルが崩壊したのを知ったのは翌朝だった。
そのとき、なぜテレビを消したのか改めて思い出すと、あの落ちてくる人は「おれだ」と思ってしまったからだ。
正確に言うと、おれがあの場に居合わせても不思議ではないというべきか。
自分も旅行でNYに行けば、おそらく貿易センタービルに行くだろうからね。
たまたまそういうふうに居合わせた人もいただろう。

それと、目の前で惨劇が起こっているのに、何もしない(その場にいてもできないだろうが)でテレビを見ているのは、
なにか不謹慎・不道徳のような気がしたからだ。
少なくとも、人が死ぬところを茶の間でお茶飲みながら(?)見ているのは、道義的退廃のように感ずる。
もっとも自分が倫理的な人間ではないことは十分承知しているのだが。

そのことと、>>17「マグナムが撮ったNY 9.11」を見に行かなかったことは、
自分の中では、相通ずるところがあったのかな、と思っている。
ただ、このことを突き詰めて考えると,
グラフジャーナリズム的な写真を否定することにつながりかねないとも感じている。
おれ自身は、現代でもグラフジャーナリズムは無意味ではないと考えるほうなので、
それを自ら否定しかねないということに困惑気味でもある。
もうちょっと、このことは考えたい。


37 :1:02/09/13 12:05 ID:oz5oPfDE
おれ一人で書くのは気がひけるのだが、他の意見も聞きたいので、
ちょぼちょぼ書いていこうと思う。
しかし下がりつづけるな。

グラフジャーナリズム(フォトジャーナリズムというべきか?)は、
写真は、事実を正確にわかりやすく伝えられる、という考え方が基本にあるように思う。
だからLIFEや他のグラフ誌は写真中心の紙面になったのだろう(この辺は名取洋之助を読んで)。
しかし、現代では、「事実「正確」「わかりやすく」というそのどれもが、
「誰にとっての?/誰から見た?」「スターリンがやったように写真の捏造もあるよ」
「キャプションひとつで写真の意味が変ってくるよ」というように疑われる。
同時に、今回はまだ見に行っていないが、サルガドの一連の仕事を見ると、
写真の力については一概に否定できないように思う。
というかおれは意味があると思っている。
続く


38 :1:02/09/13 12:07 ID:oz5oPfDE
さて、「マグナムが撮ったNY 9.11」は一体誰に何を伝えたかったのだろうか。
それに対する釈然としない気持ちがあって、見に行かなかったのではないかと、
いまさらながら思っている。
単に「事実」を述べたいのであれば、リアルタイムで見た映像には敵わないのではないか。
「悲惨な事件である」「犠牲者は無実だ」「犯人は許せない」等、については、
アメリカ以外の国で起こっていることは、そうではないのか、という反論が来るだろう。
「他の人と共有すれば、傷が癒えるかもしれない」というのは分からなくもない。
「もうこの世には安全な場所はない」という嘆きであれば、
個人レベルで考えれば、そもそもそうだった、としか言いようがない。
それ以外には、ショッキングな映像を繰り返し見ることによって、
事件を消費しようとしているようにも思える。
つまり一種の娯楽だ。
それが、>>36で書いた「道義的退廃」という意味のつもりである。
また、ショッキングな映像を見ると冷静に考えられなくなるということもあって、
おれは見に行かなかったのかもしれない。
おれが一人で考えつづけても意味がないのは分かっているが。

しかし、見ないで云々するのは気がひけるので、見た人がいれば感想を聞きたいのだが。

39 :1ですが:02/09/13 21:42 ID:oz5oPfDE
3連休中向けに、保全ageということで申し訳ない。
連休中にゆっくりと考えたいが、誰も読んでないならやめたほうがいいか。

40 :名無しさん脚:02/09/13 21:56 ID:6ON6FbSW
読んでるyo
写真について考えるのに有意義な切り口だと思うよ。
俺も何か書きたいけど
文章で総括するのは なかなか難しいや

41 :名無しさん脚:02/09/13 22:01 ID:wZBy3ZVE
レスはつけてないけど興味深く読んでいるので、考えがまとまったらまた書きこんでくれ。


42 :長いよ− ゴメンよー:02/09/13 22:15 ID:oard5RlT
一応ROMってたので、落ちない程度に続けてくださいな。

崩落するWTCの映像を見て自分は、意外に整然と落下していくので
その瞬間は人の命が失われていることを忘れていました。
コメンテーターの誰かが「映画のよう」と表したその印象のままに。
直後に映された、逃げまどう人達の様子を見て正気に戻りましたが。

もし崩落するビルの映像の直後に、テロのニュースに歓喜する
イスラム教徒の映像を見ていたら?実際テレビではさほど間を置かず
同様の映像が流れていましたが。

1枚の写真だけでは事件のごく一面しか伝えられず、それゆえ複数の
写真でもって事件を多角的に捉えようとする。しかし写真のセレクト次第で
1つの事件をいくつかの異なるストーリーで語ることができてしまう。
名取洋之助はその手法を用いてフォトジャーナリズムのスタイルを確立したと
云われていますが。

さて現場に居なかった私らができることは、事の悲惨さから目を逸らさず、
可能な限り多くの情報を得てその真相に近付くべく努めることではないかと
思います。もちろん、各人が辿り着く“真相”は、各人が得た情報とその解釈の
違いによって無限に存在することになるでしょうが。

そしてもし、自分の身の周りに大きな事件が起こったら、自分や家族や
周囲の人達の安全を守ることを第一としながらも、多くの情報を残すべく
写真やスケッチやビデオなどで記録していくことを心掛けようと
そんなことを思いました。

43 :名無しさん脚:02/09/13 22:49 ID:aBW2jNL7
あの特番の映像を撮った弟カメラマンすごすぎ。
場所、時間、アングル、何から何まで完璧。まさに神。

44 :名無しさん脚:02/09/14 10:22 ID:EH1lnTWD
神はすべてを知っている・・・・・。

45 :名無しさん脚:02/09/15 01:50 ID:BWK6YB8C
>34

それは亀爺です。と答えようかと思ったけどやはり

フライデーのような写真週刊誌のカメラマンじゃないの?

日航機墜落事故現場も同じく金になりそうな写真が撮れそ

うなので強引に写真を写そうとしたのでは

46 :1ですが:02/09/17 09:19 ID:KU2czx2V
読んでくれる人がいるとはありがたいです。
月曜日にサルガドの写真展を見に行って、ちょっと考えることがありました。
また、ぼちぼち書いていきたいと思います。

47 :1:02/09/17 18:00 ID:KU2czx2V
サルガド展を渋谷に見に行ったのだが、やむを得ず子連れで行ったので、じっくりは見られなかった。
とくに最後の子供のポートレートを見たかったのだが、うちの子が飽きてしまって、よく見ることができなかった。残念。
また、点数も多く、おれのちからでは咀嚼し切れなかった。
この写真展自体は、いろいろな人が語っているので、全体的な話はいらないだろう。
いくつか好きな写真を上げると、アマゾンのヤマノミ族の写真で(だったと思う)、蝶が乱れ飛ぶ川沿いのポートレートと、
やはり同じく、木漏れ日の川での写真。
それとサンパウロの俯瞰の写真はなんだか胸に残ったな。
何しろ駆け足で見たため、記憶も心もとない。また行こうかは思う。

 ところで、家に帰って改めて考えたのだが、ひとつは「EXODUS」というタイトルについて。
唐突だがスティーグリッツの「3等船室」もたしか移民の乗った船だったと思う(違ったかな)。
日本にいるから分からないのだろうが、自ら望んでか、他から強いられてかを問わず、移民・民族の移動というのは、
写真のなかでの大テーマなんだろうな。
そういえば、横浜で数年前にやったローバート・フランクの「Moving out」を辞書でひくと「立ち退く、家を出る」という意味だそうで、
なにか似通ったものを感じた。
クーデルカの「exile」もそうだな。
でも、自分の想像力では実際の様子は分からないというところがある。
続く。


48 :1:02/09/17 18:03 ID:KU2czx2V
それと、ロバート・キャパの写真展を見たときに考えたことをなぜか思い出した。
キャパ展を見た人と話したことなのだが、キャパが他の戦争写真家と違う点についておれはそのときこう話した。
世の中には「大きい物語」と「小さい物語」があって、政治とか戦争とか、個人を超えて動いている部分が「大きな物語」、
それに否応無しに巻き込まれるのが、個人の「小さな物語」。個人の人生とかね。
キャパの写真で心に残っているのは、例えば、ベルリン陥落間近なのに戦死した兵士の写真や、
ドイツ兵の子供を産んだために追い出されるフランス人女性等、
小さな物語が大きな物語に巻き込まれた際に生じる軋轢について取り上げているように思う
(もちろんキャパの写真はこれだけではない)。
よくいる戦争写真家は「大きな物語」か「小さな物語」のどちらかだけの場合が多いように感じるが、
キャパの写真が生き残っているのはその両方への視点があるからではないかという話をした。

変なたとえ話で恐縮だが、自分の大学の恩師(と勝手に思っている)が、こんなことを言っていた。
戦場に500人の部隊が行き、499人生還し、大勝利をおさめたとする。しかしこのとき唯一の戦死者が自分であったとしたら、自分にとっては勝利ではなく敗北である。
おれにとってはこの話は忘れられない話なのだが、
さっきの話にあてはめると、「大きな物語」は部隊の大勝利、「小さな物語」は自分の戦死になるだろう。
ここまで考えて、自分がこのスレッドで考えてみたいことは、「大きな物語」「小さな物語」と写真についてなのだろうか、という気がしてきた。
まぁ、ぼちぼち考えていきます。


49 :1:02/09/17 18:06 ID:KU2czx2V
>>40さん、41さん、読んでくださってありがとうございます。
>>42さん
> さて現場に居なかった私らができることは、事の悲惨さから目を逸らさず、
>可能な限り多くの情報を得てその真相に近付くべく努めることではないかと
>思います。もちろん、各人が辿り着く“真相”は、各人が得た情報とその解釈の
>違いによって無限に存在することになるでしょうが。
全くそのとおりでしょうね。

>そしてもし、自分の身の周りに大きな事件が起こったら、自分や家族や
>周囲の人達の安全を守ることを第一としながらも、多くの情報を残すべく
>写真やスケッチやビデオなどで記録していくことを心掛けようと
わたしもそうするかもしれません。
私の場合は、「写真を撮っても一体なんの役に立つんだ」、
などと自問自答しながら撮影するのではないかと思います。


50 :1:02/09/17 19:56 ID:KU2czx2V
すまぬが、2、3日書き込めないので、ageさせてくれ。
申し訳ない。

51 :名無しさん脚:02/09/17 20:00 ID:LT9QNxYv
ヤノマミだと思う…

52 :名無しさん↑:02/09/17 20:04 ID:ow1FhYOM
うちぁ田舎で写真展なんかまず無いんだが、月末にマグナムの写真展あるって、、
ヤパーリ特別な日なんだな

53 :1:02/09/20 09:48 ID:uU0YVuO+
>>51 訂正ありがとう。駆け足で見たから、名前を間違えたようです。

54 :1:02/09/20 22:59 ID:uU0YVuO+
>>48 柄にもなく「物語」などと大きな言葉を使ってしまったので、自分でも書きにくくなってしまった。
ここで自分の写真を考えれば、まぎれもなく「小さな物語」に属する写真ではあるな。
あくまでも自分の生活の延長上にある写真だ。
でも気持ちとしては身辺雑記だけではなく「大きな物語」があるということは忘れないようにしたいと思っている。
だから、最初から「小さな物語」のみの写真(家)はあまり好きではない。
おれの好きなアラーキーは「小さな物語」に固執しているようにも見えるけれど、肉親の死をとりあげたりしているうちに、
図らずも、運命とか、生死のようないちばん大きな物語に通低してしまったように考えている。
もちろんどちらがいいかという話をしたいのではないので、そのへんはよろしく。

55 :1:02/09/20 23:02 ID:uU0YVuO+
ところで、コンポラ写真というというとき、
その元になった"Contemporary Photographers: Toward a Social Landscape"展のタイトルの中に、「social」という言葉が入っている。
ゲーリー・ウィノグランドやリー・フリードランダー(日本では牛腸茂雄らか?)の写真は、
それまでの写真と比べるといかにもパーソナルで一見「小さい物語」のようだが、そこには「social」という視点があったということに、
ある意味があったのではないかと思っている。
が、こういう書き方・考え方は誰かがやっていそうなので、ちょっと時間をおいて考え直したくなってきた。
もし読んでくれている人がいたら、なにか意見をください。とくに反対意見。
よろしくお願いします。

56 :1:02/09/26 17:25 ID:ArSJAw7b
というようなことを考えていたのだが、とくに反応もないようなので、
このへんで終わりにしようと思います。
自分と世の中の係わりについて、写真を切り口に考えようと思っていました。
見てしまった以上、やはり無関係とは思えない事件であり、
それ以上に記憶に突き刺さる映像であり、出来事でした。
でもどうもまだ力足らずのようです。
自分の頭と言葉では考えがまとまりませんでした。
ただ、現状の結論としては、「大きな物語」の図式に頼り切らず、
同時に「小さな物語」だけに固執することなく、ものを見ていこうと思います。

ということで、1=うなぎ犬でした。

57 :1:02/09/27 10:58 ID:cxNMF3jV
以後、タイトルからはなれて勝手に進めます。

先週土曜日の朝日新聞土曜版の料理紹介のところに、名せりふがありました。
カメラ店を経営していたご主人(故人)のことばで、
「カメラが好きな人は幸せである」というものです。
家人とこのことが話題になりました。
写真も好きだがカメラ好きでもある私としては、そのとおりだな、
けっこう幸せかも、と思いました。
他にもこれを見た人いますかね?

58 :1:02/09/28 17:32 ID:Tzx5IXFY
昔、実家で使っていたオリンパスオートアイ2をもらってきて、手入れしました。
レンズの汚れとファイダーを掃除したら、見違えるようにきれいになりました。
露出計も生きていて、カラーネガなら大丈夫そう。
赤ん坊のときの写真は、このカメラで撮ってもらったのかと思うと、不思議な気持ちです。
今度、うちの子を撮影してみようと思います。
>>57で「カメラが好きな人は幸せである」というのは、例えばこういうことかと思いました。

59 :1:02/09/29 14:20 ID:3W/XwfqZ
なんだか、うなぎ犬の写真生活、という内容になってきました。
以前ジャンクで入手したPEN EES2をすこしづつ直してきて、
「赤ベロ」も出てくるようになりました。(ピントの無限遠が未調整)
最近は、それをフィルムを入れずに子どもに渡すと、大喜びでシャッターボタンを押しています。
ささやかながら英才?教育のつもり。

60 :うなぎ犬:02/10/01 11:33 ID:OQTomhqF
下がりつづけますな〜。

ところで、先日父が喜寿を迎えたので、ローライフレックス2.8Dで記念写真を撮影しました。
以前から逆光に弱いのは分かっていたのですが、
今回はそれほど強い逆光でもなかったので、そのまま撮影しました。
しかし上がりを見ると明らかに画像のクオリティが落ちていて、
まともに撮れていたのは、日がかげった瞬間に撮影したものだけでした。

もう1台、3.5Fがありますが、こちらはそれほどでもありません。
しかし現在1/500がNG。このままでも使えるのですが、修理代もバカにならないし、ちょっと悩んでいます。

61 :うなぎ犬:02/10/01 20:28 ID:VR8Xj2pX
台風がひどいようですが。
本日は残業で日野元彦の「流氷」を聴きながら仕事しております。
閑話休題sageですな。
帰ったら、センチュリーグラフィックの距離計を調整するつもりです。

62 :うなぎ犬:02/10/03 13:09 ID:800oupCv
61のセンチュリーグラフィックの距離計ですが、なかなか手ごわいです。再トライ。
それと、いまさらながら気づいたのですが、レールについている距離目盛の位置が狂っていました。
ねじを緩めて、とりあえず無限遠であわせ近距離で確認しました。
feet表示の距離計を持ってるので、しばらくは本体の距離計を使わないで撮影できそうです。

63 :うなぎ犬:02/10/04 19:01 ID:O9ZHcFub
昨日、ロシア製パノラマカメラHORIZON202が不調だったので、ちょっと調整してみました。
不具合は、露出ムラだったのですが、あるサイトを見ると、
カバーが簡単に外れるから、自分でクリーニングすれば直る
(原文英語)とあったので、さっそくやってみました。
ボディ前面のねじを2本はずし、水準器をカニ目?で外します。
あとはボディーカバーを引いて外すだけなのですが、固くて外れません。
2時間ほど押したり引いたりしてやっと外れました。
あとは、ベンジンでギアを洗いましたが、これで直ったでしょうか?
現在テスト撮影中です。

ところで、パノラマについてのスレッドがあってもいいと思う今日この頃。
FUJI TX-1のスレッドは落ちてしまったようです。

このところ機材ネタばかりなので、また写真について書いていきたいと思います。

64 :うなぎ犬:02/10/07 14:38 ID:z2n9cAtQ
先日、坪内祐三を読んで面白いな思った福田恒存論が、なんと大学の卒業論文だということでした。
若いときにこれだけのしっかりしたものを書けるとはすごいものです。
私の卒論はどんなだったかなと思って読み返したのですが、
あまりの稚拙さに頭痛がして、悲しくなりました。

しかし自分の卒論を見て、唐突ですが、9/11テロについてのシュットクハウゼンの発言を思い出しました。
彼は、あのテロについて「未曾有の芸術作品だ」と発言したとかで、物議をかもしました。
中沢新一の「緑の資本論」にある「シュトックハウゼン事件」を読むと、
シュットックハウゼン自体はテロを別に賛美しているわけではなく、
悪意あるマスコミに発言を抜粋されて、わざと発言を捻じ曲げられたということです。

しかし、世の中のある一定数の人はシュトックハウゼンと同じように考えたと私は思うので、
真相を知る前でも、彼はある意味で勇気のある発言をしたように思いこそすれ、
彼を非難する資格を持つ人は非常に少ないのではないかと思いました。

続く


65 :うなぎ犬:02/10/08 19:28 ID:DS7XBKax
地味に続いておりますが。

私の卒論はロシアフォルマリズムに関連したことを書いたものでした。
簡単にいうと、日常生活はどんどん「自動化」するから、
何かで生き返らせないといけない。たとえばそれは芸術である、という考え方です。
(乱暴すぎ、かつ自分流の曲解もあるかもしれん)
これは詩的言語についての考察で、「異化」などと言う言葉もあります。

そこから考えると、ビルに激突する飛行機の映像は、
まさしく日常生活にショックを与えたのは確かです。
そう考えれば、ショットックハウゼンの意見(誤報に近いのだが)は、
いかにも誰かが言いそうではあるな、と思ったのでした。

まだ続く。

66 :うなぎ犬:02/10/09 14:49 ID:nSof2hAf
まだまだ続いております。

>>65については、以下ののURLがまとまっています。
ttp://faculty.web.waseda.ac.jp/kawasaki/kougi114.htm
とはいえ、私はロシア文学専攻ではありません。

以上について、かいつまんでいうと、芸術の目的は日常生活を生き返らせることなのですが、
とはいえ、そのために、他の人を犠牲にしていいわけでない。

ここで写真の話にたちかえると、
私にとって写真とは日常生活を改めて認識しなおすこと、
日常生活にとりまぎれてしまった、ものそのものの姿を、
カメラという機械の目によって改めて見ることだろうと思います。
普段は先入観を持ってものを見ているが、カメラ自身にはそれはない。
ただ何に注目するかという意味では、撮影者の意思とものに対する先入観はあるが、
撮影された写真には撮影者の思惑以外のものが写りこんでいる。
撮影する自分と、出来た写真を見る自分には微妙なずれがあり、
そのずれから、自分の日常に対して新たな見方が出来る
=日常を認識しなおす、ことが日常を生き返らせることにつながる
と私は考えております。

読む人もいないようですが、行きがかり上、どんどん続けていきます。

67 :うなぎ犬:02/10/09 15:18 ID:nSof2hAf
つまり、そのずれが異化につながっているのではないかと考えております。
しかし異化だけを追及すると、日常にはないものを追求したくなる。
それを追いかけていくと戦場に行くことになるかもしれません。
また、日常にはないことを見たいという欲望・ニーズは世の中に確実にある。
それと同時多発テロの映像を何度も映すのは、似たようなものではないかと思います。

ところで、港千尋氏が、テロをテーマにした彫刻「落ちる女」の展示が撤去されるなら、
ビルに飛行機が激突する映像のほうがもっと問題ではないかと言っていたようです。
これには同意出来るところと出来ないところがあります。
ニュース自体は以下URL
ttp://www.japandesign.ne.jp/EXPRESS/020925/w03.php


ビルと飛行機の激突映像を繰り返し流すことは、私も>>36>>38で書いたとおり、
一種の道義的な退廃だと思います。
しかし、写真を見る限り、「落ちる女」は生々しすぎて、やはり許容しがたい人は多いと思います。
時間が経ち、テロ事件が歴史の一部にならない限り、ごく普通の人が見れば苦痛でしょう。
作者はその苦痛を狙ったのかもしれませんが、だれもがそれに耐えられるわけではないと思います。
苦痛が強すぎて作品を見てもらえないならば、作者が伝えたかったこと(があれば)も伝わらないわけで、
そのへんは、作者も考えようがあったようにも思うのです。
だから、展示を撤去したロックフェラーセンターを責めることは出来ないと思います。

「歴史の一部になる」「苦痛が薄れる」ということは、記憶が薄れ当事者ではなくなるということでもあり、
事件の風化に他ならないのは分かっているのですが。

この件については情報が少ないので、ここで止めます。


68 :うなぎ犬:02/10/10 14:21 ID:iEesGLzs
>>67については、閑話休題的な話でした。

ところで、>>66は、なかなかうまく言い表すことができないので、補足します。
> 自分の日常に対して新たな見方が出来る=日常を認識しなおすことが
> 日常を生き返らせることにつながる
これについては、撮影しようとするものを探すこと自体が、
日常を見直すことにもなっていることを付け加えるべきでした。
私の場合は、面白いな、美しいな、なんか分からないけど心が惹かれるな、
というものを撮影することが多いです。
(もちろん記録的な意味合いの写真を撮ることもあるのですが)

別の言い方をすると、写真を撮影することと、
幸せを追求することはつながっているのではないかと言いたいわけです。
ちょっと飛躍があるか?
幸福の定義は出来ませんが、自分が自分らしくあることや、
日々をいきいきと過ごしていけるということも
幸福のひとつではないかと思います。
大分前に「小さな物語」と書きましたが、
それが充実していることも幸福のひとつではないでしょうか。
となると、アラーキーの「幸福論」をどうしても思い出してきます。
(植田正治の「小さい伝記」もうかんできますが、詳しく見ていません。)
9/11のテロ事件が、なぜかアラーキーに辿り着いてしまいました。

が、私なりの結論は一応出たかな、と思います。

>>66をさらに補足すると、幼い子どもというものは日々変わっていきます。
すると日常も日々驚きがおこり、生き返ります。
(昨日と同じ今日がまたやって来たとは思わない)
子どもが生まれてから、しみじみそう感じるようになりました。
それが、66で書いたことの裏打ちになっています。

なんだか全体に飛躍が多いような気がしますが、ひとまずここで終わります。

69 :うなぎ犬:02/10/10 19:56 ID:iEesGLzs
なんだか賑々しいので、便乗してageるか。
いろいろ意見も言ってもらいたいし。

70 :うなぎ犬:02/10/13 13:43 ID:D/u9relY
先日、子どもの運動会に顔を出しました。

いつも標準から、広角24ミリのレンズしか使わないのですが、
はじめて、望遠レンズの必要を感じました。
遠くて、子どもの顔がよく分からない。

ズームも持っていないのですが、28-200くらいのがあると便利でしょうね。
なんでズームレンズが売れてるのか、やっと分かりました。

71 :うなぎ犬:02/10/16 13:12 ID:CBZeP/aN
作家の日野啓三氏が亡くなった。ショックだ。
最後の単行本「落葉 神の小さな庭で」のなかで9/11テロ事件について書いているのだが
それについていろいろ考えていたところだった。
日野氏の荒野を描写した文章が非常に写真的に感じたりしていた。
ご冥福をお祈りします。
なんだか今日は落ち着いてものが考えられない。


72 :うなぎ犬:02/10/22 16:57 ID:bftg59F6
そろそろ気を取り直してまた考えてみるか。

73 :■警告■アンデパンダン写真館がIP強制表示:02/10/29 00:47 ID:mjMs8hcJ
うなぎ犬って誰よ?節穴してよ!
■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■
■ カメラ板トップより公認ハリコ板としてリンクされている「アンデパンダン写真館」が
■ ある日突然、過去の投稿に遡ってIP(リモートホスト)を強制表示する可能性を表明。

■  *自らのサイトには注意書きをしていません。
■  *特に初心者の方は御注意ください。

■ 詳しくは以下のスレをごらんください。

■ ■緊急■トップリンクの貼り板がIP強制表示
■ http://caramel.2ch.net/test/read.cgi/camera/1035395726/
■ http://caramel.2ch.net/test/read.cgi/camera/1035728180/

■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■

なお、この告知活動に協力してくださる方は以下のルールでお願いします。
1.http://caramel.2ch.net/camera/subback.htmlより任意のスレッドを開き、
最終10レスに告知があるものはそのまま閉じる。
2.最終10レスに告知がないものはE-mail欄に「sage」と入れ、本文にこのレスのコピペをして投稿。
3.このレスのコピペそのままでは連続投稿規制にかかる場合、警告文周囲の■を削除・追加したり
先頭に注意喚起の一文を入れるなどして同一文と認識されないようにする。
4.同一スレッド内へのコピペは間に10レス以上間隔を開ける。


74 :うなぎ犬:02/10/30 09:45 ID:EK/VJ2NB
>73 なんだお前は。
お前に「誰よ?」といわれる筋合いはない。
俺の書き込みもくだらんだろうが、お前はそれ以上だ。
これまでは、積極的には係わりたくなく思っていたが、
どうやら、そうもいかないかもしれん。
しかし、こいつらは底抜けの馬鹿だな。
いつもはひっそりとsageだが、あげさせてもらう。

75 :名無しさん脚:02/10/30 11:43 ID:cSmiurfP
をいをい、それ以上じゃなくて、「以下」じゃないか?
それから、こんだけ亀板が荒れてるときに上げるのは自殺行為だぞ。
ひっそりとROMってるヤシもいるんだから。

76 :うなぎ犬:02/10/30 14:30 ID:EK/VJ2NB
>75 了解しました。頭を冷やします。
しかしROMってくれている人、ほんとにいるの?
そうだとしたら、ありがたいことです。

77 :うなぎ犬:02/10/30 15:02 ID:EK/VJ2NB
自分の時間が出来たので、東京駅大丸のメイプルソープ展に行ってきました。
私は、音楽が好きで、彼が撮影したパティ・スミスやテレビジョンを良く聴いていました。
彼のプラチナプリントなどについては、以前はものすごく興味があったのですが、
最近は自分の好きなものが変わってきたので、ちょっとご無沙汰していたわけです。

そのなかで心に残ったのは、ゲイ的なものや、著名人のポートレイトやリサ・ライオンではなく、
浜辺に打ち寄せる波の風景と、水に浮かんだボートの写真の2つでした。
もちろん、カラーの完璧な花の写真もいいのですけどね。

なんで、あんな地味な写真がいいのか(これは自分自身に対して)
また、彼がどうしてあのような風景の写真を撮っていたのか。
(そういえば、彼のスナップ的な写真はあまり見たことがない)
考えることがまた出てきました。

ほかの人の意見も聞いてみたいです。

78 :名無しさん脚:02/10/30 16:13 ID:cSmiurfP
ちょっと、話が戻りますが、どっかのスレで出た記憶があるんですが
マスコミに流されたWTCが崩れ落ちるときの映像(動画、スチル含めて)には
現実感が無い、映画を見てるようだと言ってる人がいたんですが、
この辺、どう思います?

79 :うなぎ犬:02/10/30 16:37 ID:EK/VJ2NB
>>78
このスレッドのまとめ的な意味合いとして、日野啓三について触れようと思っていたのですが、
とりあえず、私が共感した彼の言葉をうる覚えですが書いてみます。
たしか、
80年代の傑作と比べると90年代以降のアメリカ映画はやたらと自己の作り上げた文明の精華を壊すようなシーンのある映画を作っていた。
それは自己の作ったものが恥ずかしくて仕方がないから壊したいという衝動ではなかったか、云々。

だから、WTCが壊れるシーンに類するものは、フィクションのなかですでに何度も見ていたために、
かえって現実と思われなくなるのではないかと思います。
これがひとつ。

もうひとつは、あまりに非現実的な(とそれまでは思われていた)ことが起こったために、
いまだに現実と思うことが出来ない、ということかもしれません。

一度、その場所に行ってみないと分からないこともあると考えているので、
今書けるのはここまでです。


80 :うなぎ犬:02/10/30 17:08 ID:EK/VJ2NB
補足ですが。
> 一度、その場所に行ってみないと分からないこともあると考えているので、
> 今書けるのはここまでです。
こう考える理由は、東京・代々木のDOCOMOビルのことがあるからです。
ttp://www.kajima.co.jp/project/works/content/project/ntt-docomo-yoyogi-j.html
最初にあのビルが出来たとき、どうも違和感があって、見るとなんとなく目をそらしたくなる建物でした。
あるとき、長野重一さんの写真に、おそらく新宿御苑で撮影したと思われる写真がありました。
桜の花の下で家族連れなどさまざまな人が花見をしていて、その向こう、画面の中央にDOCOMOビルが見えるという写真ですが、
その写真を見てなんとなくあのビルが許せる(?)ような気になったのです。

存在しているものに対する受容についてもこうなのだから、
もし、いつも目にしているものが無くなった場合の喪失感についても、きっと何かがあると思うのですが、
それがあのビルについては想像できないわけです。

だからといって、その場に行けば分かるものではないとは思うのですが、
東京であれこれ考えるよりは、まだ、ましかなと思いました。

81 :名無しさん脚:02/10/31 10:43 ID:Ktm2PeB4
私にはあなたが感じてることがよくわかりません。
WTCの崩壊は何千人かの死が事件なのに、新宿のドコモビルと同列に語るのはどういうことですか。
ビルと言う人工物の出現や喪失と言う程度の意味でしか捕らえてないんですか?

人間が作ったビルが無くなったくらいのことは少し時間がたてば誰も忘れてしまいます。
それが、マスコミで繰り返し報道されることで(しかも極めて政治的な意図をもって)
別の意味を持ち始めるとは思いませんか?

ちょっと話がずれましたが、78でいいたかったことは、マスコミに報道される映像と言うのは
巧妙に人間の死という現実が隠蔽されているということなんですが...
体がバラバラになって内臓をぶちまけて死んでいくのが戦争やテロの現実ではないかと。


82 :うなぎ犬:02/10/31 13:34 ID:Onlrjgqk
>81 DOCOMOビルとWTCビルと同列に考えているわけではありません。
「そこに行かなければ分からないことがある(分からないかもしれない)」ということについて、
例として出しているわけで、それ以上のことを論じているのではありません。
>ビルと言う人工物の出現や喪失と言う程度の意味、と考えられないからこそ、
ここまで書いているわけで、それが分かってもらえないのは私の責任かもしれませんが、
>78の記述をもっと、ご自分の意図を分かりやすく書いてもらいたかった、とも思います。
具体的には、
> マスコミに流されたWTCが崩れ落ちるときの映像(動画、スチル含めて)には
> 現実感が無い、映画を見てるようだと言ってる人がいたんですが、
> この辺、どう思います?
「映像に現実感がないという人がいるがどう思う?」という問いかけのように読めます。
この質問の理解の仕方は、今思えば、複数あるように思います。
ひとつは、「映像に現実感がないのはどうしてだろうか」という疑問。
もうひとつは「映像に現実感がない、などという人はおかしいのではないか(何故なら、人が死んでいるから)」という発言者に対しての問いかけ。
私は前者として理解しましたので、>>79を書きました。
繰り返しますが>>80は、
> 一度、その場所に行ってみないと分からないこともあると考えているので、
79末尾の補足であって、本文は79です。

続く。


83 :うなぎ犬:02/10/31 13:36 ID:Onlrjgqk
> あまりに非現実的な(とそれまでは思われていた)ことが起こったために、
> いまだに現実と思うことが出来ない、ということかもしれません。
私が、ここまで書いてきたことは現実とは思えない(いまだに)ことを、
現実に引き寄せて考えるにはどうしたらいいのかということの試みです。
試みですから、まだ上手くいかないかもしれませんが。

でも、79,80と私が書いたことにより >81が言いたかったのだということが分かっただけでも、
ひとまず良かったなとも思います。

とりあえず、ここまで。

84 :うなぎ犬:02/10/31 14:44 ID:Onlrjgqk
ということで、>>78の真意は、
> ちょっと話がずれましたが、78でいいたかったことは、マスコミに報道される映像と言うのは
> 巧妙に人間の死という現実が隠蔽されているということなんですが...
> 体がバラバラになって内臓をぶちまけて死んでいくのが戦争やテロの現実ではないかと。
ということが分かりました。

私自身はマスコミに対して期待するところはあまりないので、
(というか、マスコミを批判的に見ることによって、はじめてそこから得るものがあるという立場)
当然ながら「巧妙に人間の死という現実が隠蔽されている」と思っています。
よって、まずマスコミの情報操作について書いてみます。
次に、「体がバラバラになって内臓をぶちまけて死んでいくのが戦争やテロの現実」という部分について考えてみます。

繰り返し崩壊するビルの映像を流していることには、
テロリストと呼ばれる者への敵愾心をあおる意図もあると思っています。
ただし、こういう動きもあるようです。ttp://DC.indymedia.org/
ワシントンの大規模な反戦デモ(10万人以上)のニュースですが、
マスコミではほとんど取り上げないそうです。
(作家の宮内勝典氏のサイトで知りました。「海亀通信」しか見ていないが)

インターネットは、現実の世界をそのまま反映していると思っていますが、
マスコミだけが情報ソースではなくなったという面での功績は大きいと思っています。
(しかし、真偽を判断する力が必要)

とは言いながら、内臓をはみ出させた死体の映像をマスコミで流したとしても、あまり状況は変わらないと思います。
単にショッキングであるということのみ注目されるのではないだろうか。
それはまた、ショッキングさを利用したマスコミに踊らされることになりはしないか、と考えます。
ではどうするのが良いのか、それはまだ私の答えはありません。

多分続く。

85 :うなぎ犬:02/10/31 16:36 ID:Onlrjgqk
続けるつもりだが、今日は無理っぽい。
書きすぎたか。
帰ったら、山本夏彦を読み返すつもり。

86 :名無しさん脚:02/11/01 14:28 ID:C5ShIOoS
このような場で自分のまとまった考え方を書き込んでいくと言うのは難しいですね。
81で書込みについて捕捉します。

1)自分はテレビ、新聞に流された映像にまったく現実感を感じなかった。
また、現実感を感じない視聴者が大半を占めているように思った。
2)その理由は
 (1)人間の死の即物的な側面がマスコミの情報、映像では排除されている。
 (2)アメリカから発信されるマスコミ情報は極めて政治的に選別されている。
 (3)ほとんどの日本人にとってはWTCを直接感じたことが無くマスコミの情報がすべて。
特に(3)については、例えば北朝鮮に拉致された日本人の問題をアメリカ人がどう感じるか想像すればわかると思います。

で、映像の持つ現実性について。
昭和40年代に広島原爆記念館を見たことがあるのですが、そのときの展示内容と最近の展示内容はまったく違います。
当時小学生だった私はそのときの写真や遺品を正視できず、気持ち悪くなって吐いたことを覚えています。
で、実際の展示内容は今ではほとんど覚えていないのですが、そのときの印象で、原爆だけはどんな理由があっても絶対使ってはいけないと
心に強く刻み込まれました。今でもそれは変わりません。
で、最近見た展示内容は、そういったどろどろしたものが一切排除されて、実にすっきりとしたものになっていたのです。
たぶん、こんな展示を見ても来場者は何も感じないだろうなという。
マスコミの性質として内臓をぶちまけた映像なんか使えないことはわかるんですが、せめて原爆記念館のようなところでは
被爆直後の犠牲者の痛みを追体験できるような展示を続けて欲しかったと思っています。
まあ、現代社会はそういったものをどんどん排除していくんでしょうが。

87 :名無しさん脚:02/11/01 14:36 ID:C5ShIOoS
このような自分が、マスコミに流れるWTC崩壊の映像を見て感じたことは、視覚的に視聴者に興味を持たせる映像だけを
巧みにピックアップしているな、と言うことでした。
これを書きながら気がついたんですが、それがマスコミの至上命題なんですね。
より多くの視聴者にアピールするために、ショッキングでありながら尚且つ不快でない映像だけをピックアップしてるんです。
で、その究極の映像は「映画のような」映像なんでしょう。

88 :名無しさん脚:02/11/01 14:42 ID:C5ShIOoS
多分、こんなに長い書込みを最後まで丁寧に読む人なんていないでしょうから、
一言でまとめてみます。亀板らしく。

マスコミに屈せず、不快な写真を発表する骨のある写真家はもういないのかゴルァ。

89 :うなぎ犬:02/11/01 15:55 ID:lV3RfE/E
さて>>84の続きで書こうとしていたことについて、かなり深く考えられているので、
私はあまり書くことがなくなってしましました。

ところで、私自身の性格としては,「不快」はまだ耐えられるが
「ショッキング」なものが大嫌いで、というのも、冷静に考えられなくなるからです。
(だからビルが崩壊する瞬間を見なくてよかったとも思っている)
思うに、あの事件については「白黒」が簡単につく問題ではないと思っています。
辺見庸ではありませんが、自分の側につかないものは自分の敵だといったブッシュには賛成できない。
もちろんそれ以前に、テロの実行犯の側につくことは自分にはありえない。
どちらにもつかないということは、両側から攻撃されることもあるわけで、
困難な道ではあるのですが、自分でその道を作りだすべきだろうと考えています。
ショッキングな映像を「過剰に」見せられると、私の脆弱な頭は、
現実に押しつぶされ、感情に押し流されて、ものが考えられなくなるでしょう。
私は白黒を付けにくい問題については、あーでもなくこーでもなくと散文的に考えるしかありません。

まだ続く。

90 :うなぎ犬:02/11/01 16:02 ID:lV3RfE/E
申し訳ないが、>>89の前の文章が抜けてました。
以下の文章を最初に入れて読んでください。

75=78=81=86 どうもありがとう。
>>88 昨年秋、「サムライ」氏らと、「匿名掲示板における写真論での可能性」
および「写真を撮るうえでのテーマとかを 」のスレッドで、
この場でも対話が可能だと思っていたので、
丁寧に読んでくれる人もいるのではないでしょうか。
少なくとも私は、86-88の書き込みを非常に大きな意味があるものと読みました。

※このあと、89の「さて」以下が続きます。
どうもすいません。

91 :うなぎ犬:02/11/01 16:03 ID:lV3RfE/E
>>89 しかし、これは私のスタンスで、では「現実」を伝えるにはどうしたらよいか。
そこで、>>86の広島の例があるのだと思います。
けれどもマスコミはマスコミである以上、
「より多くの視聴者にアピールするために、ショッキングでありながら
尚且つ不快でない映像だけをピックアップ」すること以上のことはあまり期待できないと考えます。

というところで、ちょっと頭が疲れました。

ところで、もしよかったら75=78=81=86も、なんぞハンドル名をつけてくれると
あとが続けやすく思うのだけど、いかがでしょうか。
「名無し」も味わい深いとは思いますが。

92 :名無しさん脚:02/11/01 16:43 ID:C5ShIOoS
いえいえ、私は単なる一名無しです。
自分の考えを理解していただいたようなので、続けます。
実際のところ、生理的に不快な写真なんて誰も見ないと思います。
単写真1枚だけぽんと出されたら、単なるグロ画像でしょう。

昔の原爆記念館の生々しい展示には、吐きながらも見学者を最後まで引き付ける力がありました。
それは、きっと被爆した被害者と遺族の「怒り」だったと思うんです。
その怒りは直接アメリカに対してではなく、戦争や核兵器に向けられていたと思うんです。
一方で、ブッシュ大統領がビンラディン憎しと、叫ぶほど自分は白けてしまうんです。
やられたら、やりかえす。これがアメリカ流なんですね。
事件直後の日本人の反応はどうだったんでしょう。少なくとも自分はテロに対して戦争で返しちゃいけないな
と思いました。煽りに煽りで反す、亀板モナー。これは、多分人間の根源的な自己保存本能からくる感情なんでしょう。
これを、抑制するにはかなり自覚的な理性が必要だと思います。

最初で最後の被爆国である日本人として、日本人でありつづけるために戦争と核兵器にだけは断固として
反対しつづけていきたいと思ってます。

93 :名無しさん脚:02/11/01 16:48 ID:C5ShIOoS
うなぎ犬さんが言う、どちらの側にもつかないという立場と同じですね。

94 :うなぎ犬:02/11/01 20:05 ID:lV3RfE/E
「一名無し」さんとの対話が出来て、このスレッドを立てた甲斐があったと思います。
ありがとうございます。
「一名無し」さんは、ご自分の立場がどうであるのか、私にも明確になりました。
私は、「その怒りは直接アメリカに対してではなく、戦争や核兵器に向けられていた」
という部分に関して、実は「寓話」というものを考えております。
現実(の惨状)を写した写真が、ある段階(時点?)で、
「個別の(paticular)」悲惨な現実から、「共有されるべき・generalな」段階の悲惨になりうるのだと思っています。
そんな寓話的レベルになった写真、たとえばユージン・スミスの水俣や「天国への歩み」のような写真が
私の理想とする写真のひとつです。
喜びにせよ悲しみにせよ、怒りにせよ憎しみにせよ、それを見た人が
人であれば共感する部分のある写真がそれだと思います。
かつては原爆記念館の展示には、generalなレベルの「怒り」があったのではないでしょうか(想像ですが)。

うまく3連休が取れそうなので、家族とゆっくり過ごしながら、
ぽつりぽつりと考えていきたいと思います。

天気がよければ撮影に行きたいが、またーりとカメラ(horizon202)を修理もしたいような。
「一名無し」さん、およびもしかしてこれを読んでくれている方、良い週末を送りたいですね。

95 :うなぎ犬:02/11/01 20:14 ID:lV3RfE/E
蛇足ですが、>昭和40年代に小学生 ということはいまおいくつくらいですか?
私は新幹線が走った年に生まれましたので、ひょっとして同世代でしょうか。
べつに深い意味はないのですが。

96 :一名無し:02/11/05 11:08 ID:dLt7TFLQ
週末は我が子のサカー試合を追いかけていますた。
今現像に出してきましたが、さて、出来はどうか?

36年生まれで、どピンポンですかね。

97 :一名無し:02/11/05 11:58 ID:dLt7TFLQ
あれ?自信が無いな。
新幹線は39年だったかな?

98 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/05 16:52 ID:tth7ptZN
興味深い内容で、じわりと沁みます。
ROMさせていただいておりますので、
また、またーりとお続け頂きたいと思います。
いちおう、ROMもいるよ。という御報告まで。

99 :うなぎ犬:02/11/05 17:20 ID:YDnhIHZn
>>97 新幹線は昭和39年です。
エー、私も年がばれてしましました。

>>98 ありがとうございます。
じわーっと続けていければいいなと考えています。

100 :うなぎ犬:02/11/05 17:21 ID:YDnhIHZn
ということで100は私がもらいます。
こーゆーのははじめてですが、やっぱり
ズサーとか言ったほうがいいんでしょうかね。

101 :一名無し:02/11/06 12:25 ID:7+A1iiJy
このスレならば、マターリがよろしいかと。

102 :一名無し:02/11/06 12:48 ID:7+A1iiJy
ROMさんもいるようですので、>>94について個人的な意見を。
うなぎ犬さんの言うparticularとgeneralの違いについての考察です。
ユージンスミスの水俣病患者の写真には被害者への共感と暖かい視線が感じられます。
うなぎ犬さんの意見に全面的に賛成です。
で、多分この辺が芸術やアートと呼ばれる写真の普遍性なのでしょう。
「筑豊の子供たち」を見ていても、批判的な視点よりは、子供たちに共感しながらもその中に同化せず
じっと見つめる土門拳の視線を強く感じます。

自分にとっては「筑豊の子供たち」により、共感を覚えるんですが。何故だろうと考えてみると
多分、自分が生まれ育った時代と環境に対する郷愁があるんじゃないかと。
一方、水俣病患者は自分の日常からは非常にかけ離れた世界なんですね。共感できる接点がほとんど無い。
にも、かかわらずユージンスミスの写真を見て共感できると言うことはそれが、確固たる芸術性を獲得している証なんでしょう。


103 :一名無し:02/11/06 13:02 ID:7+A1iiJy
鑑賞者にとっては、自分の経験に照らして共感できる部分が多いほどその作品を深く理解できると思うんです。
つまり、写真に限らず芸術作品の自立性は鑑賞者にゆだねられている部分がかなりあるんじゃないかと。

WTC崩壊の映像をTVで見てどれだけ現実感を感じるかは、視聴者の経験に委ねられているんでしょう。
で、そこに行ったことがあり自分の手で触れたことのある人と、このニュースで初めてWTCの映像を見た人では
現実感が違って当然だと思います。
逆にいうと、その映像は普遍性を獲得していない、あるいはせいぜい「映画のような」映像でしか、無いのではと思っています。
同じ、マスコミの映像であっても、タイムだったか、ニューズウイークだったかの写真、思わず涙が出てしまったものがありました。

104 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/06 13:20 ID:+gMk6NFe
>>102
ユージン・スミスの話が出てきたので、ちろっと脱線を。

かれこれ、5〜6年前になりますが(確か「水俣」が再発されたころでしょうか?)ユージン・スミスの「水俣」を扱ったドキュメンタリー番組を見たことがあります。

その中で非常に印象深かったのは、水俣の人々がユージン・スミスのことを語る場面で、そこに出てくる人々はそれぞれ自分の楽しい思い出を語るように、非常にいきいきとスミスのことを語るのです。
「写真のことはわからないけど。。」などと言いながら
「スミス先生はいい人だった。」と口々に語っていました。
中でもスミスにカメラをもらったという人は
「これ、先生にもらったカメラなんだけど、使わないときは神棚に置いてるんですよ。」
などと地方の人ならではの尊敬の念を表していた。

写真云々以前に、作品云々以前に考えなくてはならないことがあるような気がしています。それを明確に指し示すことはまだできないけれども。

105 :一名無し:02/11/06 13:36 ID:7+A1iiJy
それは、知りませんでした。良い話ですね。考えさせられます。

106 :一名無し:02/11/06 14:34 ID:7+A1iiJy
こおたにさんには、釈迦に説法でしょうが、
「シャッター以前」という使い古された言葉を体で覚えるには自分には果てしなく遠く感じられます。



107 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/06 16:14 ID:+gMk6NFe
>>106
いえいえ、私の場合どちらかといえば、馬耳東風というのが正解でしょう。

馬耳東風の「風」で思い出しましたので、またつれづれなるままに脱線いたしますが、
木村伊兵衛の写真にタイトルは忘れましたが、
黒塀の前に馬の尾が揺れているという写真があります。それについていたコメントに
「日本家屋の涼しさを表現するために、馬の尾が揺れているのを配置してみた。」とありました。

このコメントをはじめて読んだのが確か中学生のときでしょうか。
なにか違和感を感じたのです。つまり、これはスナップだと。
ならば、この馬は木村伊兵衛が意図的に配置したものではないはずだと。
なぜ「配置してみた。」というのだろう?
これは偶然ではないのだろうか?必然だというのだろうか?

この「配置してみた。」の謎は
数年後に木村伊兵衛のインタビューを何かで読んで、ようやく解けました。
そのインタビューにはこうありました。
「写真ってのはね、シャッターチャンスが来たっ、って思ってから用意したんでは遅いんですよ。先にわかって準備してなきゃ。
つまりですね、街の空気と一体化して空気になる。
そうするとシャッターチャンスが来るのが2〜3秒前にわかるんですよ。」

この言葉で僕の中での「配置してみた。」の謎は氷解しました。
つまり、木村伊兵衛はわかっていた。つまり、木村伊兵衛にとって馬の尾は必然的に配置すべきところへ「配置してみた。」ものだったのだと。

おそらく「シャッター以前」を体得すると、このような境地に到れるのではと想像しています。

ま、私には一生無理っぽいですが。。。。


108 :うなぎ犬:02/11/06 17:01 ID:baxzGHZJ
>>106「シャッター以前のこと」の受けとめ方は、
いくつかあるでしょうが、
この場合は、カメラマン・写真家である以前に、
人としてどうあるかという問題だと思いました。

写真・カメラのために世の中があるわけではなく、
世の中のごく一部に写真とカメラがあるに過ぎない。
それが逆転(してしまいがちだが)してはまずいだろう、
ということではないでしょうか。

天才ならば、もしくはある目的のためならば許される、
という考え方もありそうですが、
写真の天才であることが人としてNGであることの免罪符にはならないでしょう。
むしろ、作品は作者と切り離して考えてもいいと思います。
(理解するためには、作者のことを知っていることは、
悪いことでもないとは思いますが)

また、目的があるからいいのではないか、というのは、
目的と、その目的のためにダシに使われるになるものとの天秤が、
どちらに傾くかで決まることではないかと思います。

ちょっと書いてみました。

109 :一名無し:02/11/07 11:52 ID:xcqfv63z
うなぎ犬さん、前半のご意見はその通りだと思いますが、自分は、作者と作品は切り離せないものだと思っています。
こおたにさんが書いてくれたユージンスミスの逸話と木村伊兵衛の逸話は一見、質の違う話に見えますが、実はシャッター以前の作者のありようという意味でつながっていることなのではと感じました。
たぶん、作者がそのとき、その場でシャッターを切るまでの人間としての在り方がその一瞬に凝縮されていくのではないかと。
もちろん、自分にはとてもそんな境地はわかりませんが、言葉で考えてみるくらいのことはしてみます。
で、シャッターを切った瞬間にはそのとき作者が感じたもの、作者そのものが表現されている。表現されていなければ芸術作品としての力が生まれてこないんだろうなと。
とくに、スナップではその傾向が顕著になるようにも思えます。写真には間違いなく、木村伊兵衛とユージンスミスの違いが定着されていますよね?
ただ、作者の思想、感性と実生活での行動が必ずしも一致するものではありません。人間て、とても複雑な生き物だと思います。自分が心の中で思っていることと逆のことを話すのは、よくあることです。
ピカソが自分の耳を切り取ったら、ただの基地外ですかね?
なんか、机上の空論になっちゃいそうなので、この辺でやめときます。
こおたにさん、興味深いお話を有難うございます。

110 :一名無し:02/11/07 12:04 ID:xcqfv63z
自分は、まったくの初心者なんですが、よく我が子のサッカーの写真を撮っています。
で、ボールと子供の動きはとても速いんですが、ピッチ上のプレーヤーに自分の気持ちを合わせていかないと
とってもインパクトの瞬間なんて撮れないんです。その上で、構図を作るなんて神業のように思えます。
最近、ようやくわかってきたことなんですが、被写体に自分の気持ちを同期させていくって
こういうことなのかな?

111 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/07 17:46 ID:ezSreTFg
一名無しさん、補足ありがとうございます。
私の筆力不足から、多少伝わりにくかったようです。
一名無しさんの補足でほぼつながって伝わったのではないかと思います。

つまりですね、「シャッター以前」を体得し、
人の中にふっともぐりこんで違和感を与えないような所作を身につける
ことができれば、ユージン・スミスのような尊敬を得ることも可能かも
しれないし、木村伊兵衛のような風のような撮影スタイルを得ることも
可能になるのではなかろうかと、私は想像してみているのです。
その場合、きっとどちらも被写体に被害を与えるようなことはないだろう。
と想像しています。これは想像の産物であって体得した結論ではないの
で、いかんせん心もとないものではありますが。

歌舞伎、狂言などの伝統芸能の名人と呼ばれる人は、舞台の上以外の日常の一コマでも非常に美しい所作をするものです。おそらく、彼等は芸を磨きに磨いた末に、意識をしないレベルにおいても芸が所作に出るという次元に到達したのではないでしょうか。

推測ばかりで、申し訳ないのですが、私は写真においても、そのような所作があるのではないかと思っています。それには、ユージン・スミスや木村伊兵衛が何かの手本になるのではとも考えています。

112 :一名無し:02/11/08 11:43 ID:5MshMgQn
こおたにさんのお考え、よくわかりました。
我が子が幼稚園に通っているとき、ある、ベテランの営業カメラマンがいつも行事のスナップを撮っていたんですが、その方は撮影中まったく気配を消していて、子供たちもカメラを意識していなかった。
その写真を見てると、よくわからないながらもスナップとはこういう物なんだなと思ったことを覚えています。
まあ、自分はカメラの操作ひとつとっても、じたばたしてて、こんな偉そうなこと言えたもんじゃないんですけど。

写真の鑑賞者として自分の恥を晒しながらでも好き勝手なこと言ってます。
107で言われた、木村伊兵衛の写真ってアサ亀11月号に載ってた「板塀」(タイトル合ってたかな?)ですか?
こおたにさんのお話を聞いてもう一回見直してみると、確かに撮影者の風のような視点を感じますね。
最初に見たときはよくわからなかったんですが。 自分の写真鑑賞なんていいかげんなもんです。(汁


113 :一名無し:02/11/08 13:57 ID:5IX2M2hD
ちょいと話を戻して。>>1の書き出しに自分はすごく惹かれたんですけど、ここに書き込んでるうちに思い当たることがありました。
平和ボケしてて、テロや戦争を身近に感じることが無い今の日本なんですが、
WTC事件を通して平和な日常に突如として襲いかかってくる暴力を見せられたのかなって?
で、自分としては子供のとき体験した原爆記念館の記憶が甦ってきた。
今、楽しく元気にサッカーを楽しんでる子供たちの平和な時間を大切に守っていかなきゃいけないんだなってことに、思い当たったんです。
「ただ、前よりも家族の写真が多くなったかな。」って言葉は自分にとって、そういう意味だったんだと気付きました。
だから、アメリカの報復攻撃に対しても、感心はむしろアフガンの難民の方に向いてしまうんですね。
こうして、言葉にするとなんだか陳腐なものになっちゃいますけど。

114 :うなぎ犬:02/11/09 14:45 ID:D10OuSWa
ただいまいろいろと考え中。

115 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/10 22:14 ID:KrbXHCMG
一名無しさんへ
>107で言われた、木村伊兵衛の写真ってアサ亀11月号に載ってた「板塀」(タイトル合ってたかな?)ですか?
それです。名作ですよね。

うなぎ犬さんへ
>ただいまいろいろと考え中。
ゆっくり、お待ちしてます。

116 :一名無し:02/11/11 12:04 ID:VV82eoXq
>115
こおたにさんのお話で、また違う見方ができるようになりました。
dat落ちしないようにコソーリage

117 :うなぎ犬:02/11/11 16:45 ID:BU8xt2TF
ageていただいたようで、どーもすいませんです。
なんかkichi外じみた妄想があるのだが、書いていいのかどうか分からない。

ところで、家族、とくに子供の写真を撮っている人には、
島尾伸三「まほちゃん」を見てどう思うかな。
島尾伸三は写真はまぁ嫌いではないが、文章読むといやな感じ。
でも、この写真集だけは好きだな。
あの中に出てくる母親以外の女性は、島尾マヤ(故人)だろか。
ちょっと独特の存在感があるので、気になる。
ちょっと尻切れトンボですが。

118 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/15 17:26 ID:5bU75mte
このスレを読み返していて、ふと思ったのは、
自分の作品群の核をなすテーマとかみたいな大袈裟なことでもなくて、
何かの事象が、自分の持つ観念を変えるとかそういったことから、
写真が変わるということもやはりあるんだと。

そういうごく当たり前のことを、もうすこし考えていきたいなと。

なんで、唐突にこのようなことを書くかというと、
>1の文の柔らかな変化の兆しや
>117にある島尾伸三の名みて、
その父親の島尾敏雄の「死の棘」の硬質な空気を感じた時に、私のものの見方が変質していく肌触りを感じたことなどを思い出したり。
(島尾伸三の写真は島尾敏雄への強烈な嫌悪と尊敬の入り交じった感情が鑑賞を邪魔するので、見る機会があっても敢えて逃してしまっています。)

そういう積み重ねって自分の写真にじわじわと沁み入るように影響を与えるんではとか思う。

もっと、そういうことを考えることが必要な気がしています。
そういう繊細な、または微細な肌触りの積み重ねこそが写真を変えていくのではと。そこが本質なのかもと。

このスレで、写真以外のことで、自分が影響を受けたいろいろなことについて、語り合うというのはスレ違いですかね?

あながち、そうでもないように、思うんですが。

119 :うなぎ犬:02/11/18 11:53 ID:Tztb40Sp
こおたに様
> このスレで、写真以外のことで、自分が影響を受けたいろいろなことについて、
> 語り合うというのはスレ違いですかね?
この件、ちょっと考えていました。

>>118
> 何かの事象が、自分の持つ観念を変えるとかそういったことから、
> 写真が変わるということもやはりあるんだと。
について、私は
>>56 自分と世の中の係わりについて、写真を切り口に考えようと思っていました。
これと、微妙に関わっているように思います。
まだ迷っているのですが、すでに同時多発テロ事件以外のことも大分書いているので、
こおたに様の言うとおりでもいいかなと思う反面、
あまりに身近すぎることに話が終始する可能性もあって、それは避けたいです。
つまり、そればかりになるのがちょっといやというわけです。
というのも、今生きているということは、昔ならば「そんなことは俺には関係ない」というような、
遠いところの出来事もふだんの生活にリンクしているように思うわけで、
そのことを無視して日常生活を考えることもなんだか嘘っぽく思えるからです。
ややこしくなる一方の世の中を、(ある程度)そのややこしさも含めて引き受けることが必要にも思うのです。

続く


120 :うなぎ犬:02/11/18 11:56 ID:Tztb40Sp
とはいいながら、こおたに氏に基本的には賛成です。
しかし、これまでの流れから外れ「すぎる」のも避けたいところです。
「写真以外のことで、自分が影響を受けたいろいろなこと」が、あまりに個人的「すぎて」、
共有できないもの「ばかり」(←ここがポイント)にならなければいいと思います。
このことで、ここで扱うフィールド(?)が広くなり、
かえって最初のテーマが深まることもあるように思います。

それと、2chでは似つかわしくないようにも思いますが、
場合によっては、ある程度、私(うなぎ犬)が、
モデレータ(進行役)的に発言しようかな、とも考えております。
「不即不離」ならばOKでしょうが、「不即」ばかりのときには何か言うかもしれません。
(あまりそんな場面もなさそうですが)

ともあれ「繊細な、または微細な肌触り(の積み重ね)」については、
キツイ言葉ではなく、またーりと話すことがいいように思います。
(だから断言口調ではなく、ちょっと言い淀んだりしがちになるかも)

いかがでしょうか。

121 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/18 17:47 ID:91j2d37W
うなぎ犬様

テロ絡みのことばかりになると、ちょっと。。
という懸念もあります。

1年以上の時がたち、さまざまな社会的側面が報道され、テロが行われた背景などもある程度、あきらかにされてきたこの昨今ですけれども、
まぁ、そうは言っても、それらの波及を受けたものと思われる様々な過剰反応が世界には溢れています。
いろいろな背景、いろいろな動機も周知されるようになったとはいえ、やはり過剰反応の一種であったかと思えてなりません。
そもそも、人が殺しあうことに正当な理由などないのですから、どの種の戦争も過剰反応の積み重ねでなったとも言えるかもしれません。
また、どの時点での善悪を見るかによって、善悪の基準は大きく揺れ動くのだということも明らかになったような気もしています。

他方、>>42さんに言及されているように、あの映像は「映画のよう」という捉え方もある。
これは、技術の進歩により、数年前にはありえないと思っていたような映像が明日には実現してしまうような時代になってしまったこと、
高度に情報化された社会(2ちゃんだってその一部だ)により、人と人の接触が淡白に無感動に薄く広く広がっているせいかもしれない。
または自身がきっちり、足を踏み締めて生きているという感触を持ちにくくなったということかもしれません。
つまり、リアリティのとっかかりになるような現実感が確固たるものではなくなってきているということかもしれない。

いずれにしても、
>遠いところの出来事もふだんの生活にリンクしているように思うわけで、
>そのことを無視して日常生活を考えることもなんだか嘘っぽく思えるからです。
そうありたいと私も思いますので、また自分にとってのリアリティをとっかかりとして、
少しでもまともな写真を一枚でも多く撮れるようになるステップとして、
「リアル」を見つめ直すとこからはじめてはどうなのかな。とか思うわけです。 <勝手なつぶやき。

そんなわけで、脱線がすぎたように思いますが、今後ともナビゲートよろしくです。

122 :うなぎ犬:02/11/18 18:22 ID:Tztb40Sp
>>121
> 自分にとってのリアリティをとっかかりとして、
> 少しでもまともな写真を一枚でも多く撮れるようになるステップとして、
> 「リアル」を見つめ直すとこからはじめてはどうなのかな。とか思うわけです

賛成です。
人が少ないスレッドですが、こおたに氏の>>118,121のスタンスで、
行き着くとこまでいってみましょうか。

皆様、発言よろしくお願いします。

123 :一名無し:02/11/19 13:28 ID:9auHKr5V
「リアル」ということについて、自分の感じ方を思いつくままに書いてみたいと思います。
新聞やテレビが無かった時代の現実とは多分の自分の足で移動できる範囲で起きた事件であり、
自分の五感で直接感じることできる事象に限られていたのだろうと思います。自分の行動範囲の及ばない遠くで起きた出来事は伝聞で伝えられたおよそ事実とは程遠いものだったのではないかと思います。
その頃の人にとっての世界は自分自身で行くことの出来る行動範囲に限られていたのではないかと思います。
で、世の中に新聞が普及して国内外で起きた事件を、それを取材した記者の書いたものを直接読むことが出来るようになった。
中間に伝聞者の誤りや主観が入らず、現地で取材した記者のレポートを読者が直接読むようになって、情報の正確性は飛躍的に向上した。
さらに、写真で映像化された情報も配信されるようになり、TVで動画も配信されるようになった。
これによって、あたえられる情報の範囲は飛躍的に広がり世界中の事件を知ることが出来るようになった。
ところが、このことが視聴者にマスコミの情報が正確な事実を伝えていると言う錯覚を与えているのではないか?と思います。
実際は記者、編集デスク、マスコミを取り巻く様様な団体の主観や意図が入り込んでいるにもかかわらず。
いろいろな情報があふれかえっている現代で、そのことに気がついた人はマスコミから発信される情報に「リアル」を感じられなくなり始めているのかも知れません。

一方で、こおたにさんが121で書かれた「リアリティのとっかかりになるような現実感が確固たるものではなくなってきているということかもしれない」ということについて、
自分としては情報量の飽和と感受性の麻痺として感じている部分があります。
これだけ日常生活に情報があふれかえり、同じような映像が繰り返しテレビ画面に流されると、個人で感受できる限界を超えて麻痺してしまうんじゃないかと。
毎日、新聞やテレビのニュースを見ていると遠い世界の自分とは関係無い出来事に感じられてくるというのが、自分の実感です。

今日は時間が無いので中途半端ですが、この辺で。


124 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/19 14:06 ID:MLjnRkX/
「情報量の飽和と感受性の麻痺」というのを受けて思い出すのは、口裂け女のことです。
単なる怪談話が警察まで動かしてしまった、あれです。

当時まだ子供だった私は、あれが本当のものとして感じられ、「リアル」と感じられました。今考えるとまったくアホらしい話ですが、あれを本気で受け取っていた人は相当いたと思います。
友人などは「成田空港で見た。」「隣のスーパーで買い物してた。」などと言っていたものです。

時速60kmで走る口が耳まで裂けた女。

これのどこにそんな強靱なリアリティがあったのか?
まったくわからないのですが、子供であった私だけでなく、子供や警察まで巻き込んだ大騒ぎになったのはなにかの理由があってのことでしょう。

これと、「リアルの喪失」にぼんやりとした繋がりを感じています。
うまく説明できないのですが。

125 :うなぎ犬:02/11/20 11:16 ID:1dGoAWYN
口裂け女ですか。懐かしいですね。
お互い年齢がばれるというか。
今思えば、なんであれほど話題になったのか不思議です。

>>123 「情報量の飽和と感受性の麻痺」を私なりに考えると、
人が処理できる情報量には限りがあると思うので、飽和状態になった場合、
かえって何も感じることができなくなるように思います。
そうなった状態が感受性の麻痺かもしれません。
それは一種の判断停止状態でもあるように思います。
そのような場合には、普通であれば一笑に付すようなことも、
無批判に信じ込んだりするのかもしれません。
この判断停止状態が怖いように思うのですが、
でも考えつづけるというのもしんどいことではあります。

そのこととリアリティの欠如について、またちょっと考えてみたいと思います。

とりあえず、ここまで。


126 :うなぎ犬:02/11/21 01:15 ID:S02DS/Az
急な用事で、2,3日ネットに接続できなくなりました。
こおたに様、一名無し様、面白いところに差し掛かってきたように思いますので
続けてみてください。

127 :一名無し:02/11/21 13:57 ID:RQuSC9FE
口裂け女、懐かしいですね。
ちょっと検索してみましたが、ネット上にも口裂け女研究家はたくさんいるようです。
http://cthulhu.hp.infoseek.co.jp/kuthisakeonna.html
これによると、発生は1978年ということですが、自分が小学生高学年の時には
すでに、この都市伝説はあったので、発生はもっと古くて1970年代前半だったと思います。
実際には数年を賭けて全国に広まったものを1978年にマスコミが取り上げて(確かラジオ放送)爆発的に広まったものと
記憶しています。
この話の味噌は必ず「僕の友達が口裂け女に襲われた」という部分が最後に語られるところにあり、
聞き手は自分の友達である(多くは小学校の同級生)語り手の「友達」が口裂け女に襲われたんだという「リアリティ」を
感じたというところでしょう。
自分が小学生の頃の行動範囲は、徒歩かせいぜい自転車でいける範囲に限られていました。
で、友達の友達が体験したと言う話はすごく、身近に感じられたんじゃないかと思います。
今思えばほんとにばかばかしいんですけど、当時はテレビで放送されたアポロ宇宙船の月面着陸よりも
リアルに感じられたと言う記憶がかすかにあります。
ふと、思ったんですが、語り手=情報のソースに対する聞き手との親密度のような関係は情報の「リアリティ」にかなり影響があるんじゃないでしょうか?
こおたにさんが感じている「リアリティの喪失」と「リアリティの創出」は表裏一体の部分があるのかな?と
こおたにさんが感じているものと同じかどうかは、わかりませんが。

このことと、「情報量の飽和と感受性の麻痺」でうなぎ犬さんが125で言ったことは、
どうも別の現象のような気もします。
話がすごく、難しくなってきましたね。

128 :一名無し:02/11/21 14:07 ID:RQuSC9FE
後者の話はちょっと置いといて、前者について考えてみます。
口裂け女が一人で写っている写真と自分の友達が口裂け女に追いかけられている写真を
想像してみてください。どちらも合成写真の作り物ですが、「リアリティ」には違いがあるように思います。

テレビ画面の中で、知らない外国人が月面から手を振っても本当のこととは感じられない。
同じクラスの友達が出会った口裂け女のほうが「本当らしく」感じられたんでしょう。


129 :こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/21 17:08 ID:NOaIDLhH
お話を伺ううちに、僕の出した「口裂け女」の例は、
「情報量の飽和と感受性の麻痺」ということで言うと、
どうもポイントがずれているような気がしてきました。

口裂け女のことでは、ちょっと違うところで、私は
一名無しさんの言う
「で、友達の友達が体験したと言う話はすごく、身近に感じられたんじゃないかと思います。
今思えばほんとにばかばかしいんですけど、当時はテレビで放送されたアポロ宇宙船の月面着陸よりも
リアルに感じられたと言う記憶がかすかにあります。 」
というところを取り落としていたように思えます。
当時、子供であった私なぞがそのような理由で、
信じてしまったということは、容易く理解できるのですが、
大人や役人までそれに踊らされたというのは、
やはり合点がいかないところです。

わずかに説明として浮かぶところでは、そのような話を強力に信じた
子供に囲まれて、大人たちも信じざるを得なくなったというところなのでしょうか?
どうも、力不足の説明ですね。

脱線を承知で、さらに口裂け女の話を進めますが
あの当時、「友達が見たと言ってた」などといいつつ、
噂を広める側に回っていた人たちはなぜそういう行動をしたのか
ということが、今でも不思議でなりません。
中には聞いた話をそのまま流しているだけという人もいたのでしょうが、
その地方の固有の地名を含んだ噂などは、その地方の誰かのアレンジが加えられているわけですから、
その地方のどこかに2次加工者というのか、2次作者というのかがいるわけです。
さて、彼等は何の為に、噂に加担したのか?
きっとさほどの理由はないのでしょう。
しかし、この加担したくなるというのがリアリティを作っているのではないのだろうかとも思います。

脱線しっぱなしですね。。

130 :一名無し:02/11/21 18:14 ID:RQuSC9FE
こういう話は気楽に力を抜いていけるので、脱線として歓迎ですが。

心理学的に見ると、10歳くらいまでの子供の自我は充分に分化しておらず、
自分の空想と現実の境界があいまいだと言われています。空想で目に見えない友達が
あたかも、目の前に存在するかのように一人遊びをするというのがそれですね。
少女のままごとにはじまって、少年たちのチャンバラやヒーローごっこのように、
遊びの中に日常的に見られる現象です。それは、彼らにとってとっても「リアル」な世界だと思います。
「ウルトラマン」や「仮面ライダー」になりっきって遊んだ経験ありませんか?
子供の世界で「口裂け女」がとてもリアルに存在していたことは間違いないんですが、こおたにさんが言うように
大人たちも信じてしまったことは、不可解なことですね。

トイレットペーパー騒動にも似た、集団パニックのようなものだったんでしょうか。
(お店からトイレットペーパーが無くなり、主婦がパニックになったあれ、ばかばかしいですが。)
古くは、オーソン ウェルズの火星人襲来騒動などいくつかの例がありますね。

ちょっと、脱線しすぎましたかね?写真の話に戻すと、
土門拳でしたか、子供のチャンバラを撮った写真。たしか「鞍馬天狗と少年剣士」とかいうやつ。
(タイトル間違ってるかもしれません。) あれなんか、子供の空想の世界を見事に視覚化してると思うんです。
見てると、見えるはずの無い空想の鞍馬天狗が見えてきますよ。(自分にとっては、ですが。)

131 :うなぎ犬:02/11/26 11:40 ID:D6wYtEqQ
戻ってきました。

「土門拳でしたか、子供のチャンバラを撮った写真。たしか「鞍馬天狗と少年剣士」とかいうやつ。
(タイトル間違ってるかもしれません。) あれなんか、子供の空想の世界を見事に視覚化してると思うんです。
見てると、見えるはずの無い空想の鞍馬天狗が見えてきますよ。(自分にとっては、ですが。)」

私もこの写真が好きですが、そこまで深く見ていなかったので、一名無しさんの意見はなるほどなー、と思いました。
写真というのは、イメージ=心のなかの像に関わることだと思っているので、
子供がなりきっている鞍馬天狗の心象に土門拳が感応し、
それを見事にすくい上げて写真として定着させたということではないでしょうか。
それが一名無しさんのところまでダイレクトに届いたんでしょね。うらやましいです。
ここからちょっと考えると、
イメージが自分のなかにある場合、それを投影する対象が外界にあればそれを撮影するでしょう。
もしくは、ブレッソンのように、それが来るまで辛抱強く待つかもしれませんし、
なにか造形してそれを撮影するかもしれません。
口裂け女の場合、その時代の漠然とした不安感?居心地の悪さ?があって、
それに形を与えるものが必要だったのかもしれません。
その形の与え方が絶妙だったので、なんだかリアリティが感じられたのかもと思いました。


132 :一名無し:02/11/26 14:04 ID:pLcYulmT
お帰りなさい>131

>それが一名無しさんのところまでダイレクトに届いたんでしょね
自分にはまだまだ写真というものがよくわかっていなくて、
単純に自分が見て良いものとわからないものがあるだけです。
世間の評価が高い写真でも、自分にはさっぱりわからないものもたくさんあります。正直なところ。

口裂け女のリアリティについてはうなぎ犬さんのご意見、なるほどと思います。
高度経済成長の中で、社会が急激に変化していくことに対する不安とかもあったのでしょうか?
なにしろ、ろくな制御用コンピュータすらなかった時代に人間を月まで打ち上げちゃったんですからね。
今思えば、自殺行為に近いむちゃくちゃな計画だったと思います。人間不在で経済最優先の時代だったんでしょうね。
公害撒き散らして、コンクリートのダムいっぱい作って、人より自動車を優先させていた時代だったと思います。
アポロ計画はアメリカの強さを世界に誇示するためだけの無茶な冒険だったと思います。
今となっては、NASAだって、火星への有人飛行なんてやらないでしょう。

なんか、「口裂け女」だけでもリアリティをつくる要素っていっぱいありそうですね。
時速180km/hで走る夢の新幹線が開通して(確か開通当時は180kmか200km位だったような)、
時速80km/hで走る口裂け女にもリアリティがあったんでしょうかね?

133 :うなぎ犬:02/11/27 12:00 ID:hALk6x4h
私も脱線ですが、>>132
「自分にはまだまだ写真というものがよくわかっていなくて、
単純に自分が見て良いものとわからないものがあるだけです。
世間の評価が高い写真でも、自分にはさっぱりわからないものもたくさんあります」
じつは、私はこおたに氏の>>107秋田の板塀の前を通り過ぎる馬の尻尾の写真
(ttp://www.kahitsukan.or.jp/kimura.htmlの「板塀」)
昔は、ぜんぜん良いとは思わなかったのです。
ところが、木村伊兵衛のほかの写真を見ているうちに、なんだか良い感じがしてきました。
なんというか、映画の1シーンというか、その前後の動きを感じさせる気がするのです。
これは良いと思うようになった例ですが、そうでないのもたくさんあります。

世間が良いというものよりも、まずは自分が良いというもののほうからはじめるのが大切に思います。
とりあえず、脱線でした。



134 :一名無し:02/11/27 13:58 ID:A0XKazTJ
ふむふむ、やっぱりその作家のいろいろな写真をたくさん見ると
自分が理解できなかったところが見えてくる、
その作家の主張や感性が見えてくると言うことでしょうかね。

ところで、話を戻してリアリティについてなんですが、
嘘のような本当=WTC崩壊
嘘のような嘘=口裂け女
こーゆーふうに比較してみると面白いと思います。
あまりにも突飛な非現実的な口裂け女が何故かリアリティを獲得し、
虚構の映画で見ていたような大惨事が現実に起こったのにリアリティが自分には感じられない。
何故なんでしょうか。

確か、東松照明の写真集に書いてあったことですが、長崎の原爆記念館を見たアメリカ人青年が
「ロシアはなんて酷いことをするんだ!」と言ったという。
実は自分がテレビでWTCのニュースを見ていたとき、このアメリカ人青年が見た日本と同じような
距離感を、WTC崩壊とその被害者に対して遠くの出来事として感じていました。
テレビのお涙頂戴的バラエティ放送にしらけてしまったとも、感じます。
で、犯行がテロリストによるのもだと発表されたとき、
正直なところ「そりゃ、アメリカが世界中から憎まれることしてるんだから、自業自得だろ」
と思ってしまったんです。
でも、よく考えてみると原爆落とされた日本もその当時は世界中から憎まれることしてたんですよね。
その、自覚があるからアメリカ憎しではなくて、戦争反対、核兵器反対と言う方向に向かっていくんだと思います。
もう、そろそろアメリカの「力ずくの正義」の危険性に、みんな気がついてきてるんでしょうか?

なんか、話がどんどん広がってまとまりがつかなくなってますね。ごめんなさい。

135 :うなぎ犬:02/11/28 16:59 ID:+WMrJwka
ちょっと、中休みということで。
ずれたらごめん。

 /|\
 | キ |        n/ ̄\n
 | キ |        /  (・(・|
 \|/        三    ∞ |三
  ||         /  / ̄ ̄)
 /──────   \ ̄ ̄) 
 |           | |/| | ̄ ̄
 |_| ̄|_| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_|  |_|


136 :うなぎ犬:02/12/02 14:48 ID:pXHCyn6q
どのように考えたもんかな、と思ってちょっと考えていました。
>>135 うなぎ犬のAAは知り合いが教えてくれたものです。
この場にはふさわしくなかったかな。

ところで、
> 嘘のような本当=WTC崩壊
> 嘘のような嘘=口裂け女 という部分にわたしは引っかかりました。
虚実皮膜論的に考えることも出来ますが、ここではそうすべきか否か。
わたしなりに考え直すと、
1.本当らしき本当
2.本当らしき嘘
3.嘘のような本当
4.嘘のような嘘  と分けて考えられるのではないでしょうか。
※便宜的に番号をふりました。
それと、リアリティをどこに感じるのかという点。
これをあわせて考えないといけないのかな、考えております。
それと写真はどう関わってくるのか。
考える時間が欲しいところです、というかあせる必要もないのですが。

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